基本的人権の尊重 ―知る権利・表現の自由の侵害と公共の福祉問題

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基本的人権の知る権利・表現の自由の侵害問題

◎現在情報の大半はマス・メディアから流されるようになり、情報が独占される状況が生じ、知る権利が侵害されています。

⇒マス・メディアを利用した世論操作が行なわれ、国民が自己の意思を適切に形成し、本当の意味での主権者としてふるまうことが不可能になり、表現の自由の保障が形だけになってしまう恐れがある。

情報商材業界においても、アフィリエイターによって情報操作が行なわれ、本当の消費者の意見が反映されずにレビューされているのが現状です。

◎従業員は世の中にとって良いこと・自分で良いと思ったことでも、会社にとって不利益になることを発言することは許されていません。

従来、基本的人権(表現の自由)は国家と国民のみの関係においてのみ問題となり、私人相互間においては私的自治の原則が適用され、私人相互間の利害対立は憲法の問題ではないとされていた。
しかし、現在は企業・団体による表現の自由の侵害からも、国民を保護する必要が出てきている。

憲法上における表現の自由の定義と公共の福祉問題

憲法上における表現の自由の定義

表現の自由は、日本国憲法に規定されている基本的人権の自由権的基本権のうち、精神的活動を外部に表現する自由として、集会・結社および言論・出版などの自由を保障しているものである。
⇒人が自分の思うことや言いたいことを、自分の思う方法で表現する自由のことである。

言い換えれば、表現の自由は思想を伝達する手段と機会を保障するものである。
そのことから、規定範囲は言論・出版に限らず、映画・演劇・音楽・画家など芸術上の表現活動、その他一切の表現内容と表現手段に及ぶ。

表現の自由の存在意義は3つある。

1つ目は、個人が言論活動を通じて自己の人格を発展させる個人的価値(自己実現の価値)の側面です。

2つ目は、各人の自発的言論が「思想の自由市場」に登場し、そこで自由な討論を経て、真理が発見されるという社会的効用の側面である。

3つ目は、言論活動により国民が政治的意思決定に関与するという民主制に資する社会的価値の側面があります。

公共の福祉問題

この表現の自由は濫用してはならないが、公共の福祉に反しない限り、国家権力などからの干渉・制限を受けない。 また、侵すことのできない永久の権利でもあり、永久に奪われることのない権利である。

そのため、憲法には検閲の禁止・通信の秘密を規定し、表現の内容を、通信等を利用して外部に伝えるとき、公権力による調査を行なわれないようにすることで、あらゆる表現について、事前の抑制を禁止した。

そのことから、表現の自由を侵すような国事行為は無効である。表現の自由は公権力の限界を定めることによって保障されている。これにより、国家と国民の関係においては、表現の自由を巡る摩擦は発生することはない。

しかし、この権利は内心の自由と異なり、他者との衝突が起こりやすく、公共の福祉の制約を強く受けるなど、様々な問題が発生している。

表現の自由(基本的人権)の私人相互間への適用について

直接適用説

表現の自由を私人相互間においてもできる限り直接適用するというものである。 これができれば、憲法は日本国の最高法規であるので、かなりの効果が期待できる。 しかし、これは私的自治の原則に対する配慮が不十分になる。そのことから、実際の社会において運用することは難しい。

間接適用説

直接私人間には適用されず、関係私法規定の解釈指標として、私法上の不確定概念や一般条項の意味を補充する形で、間接的に私人相互の関係に適用されるものとなる。

具体的には、私人間に表現の自由を侵害する法律行為があった場合、憲法により違憲とされるのではなく、それが個別化(具体化)された関係私法規定(民法90条)により違憲とされる。

民法90条は公序良俗規定で、公の秩序又は善良の風俗に反する事項を目的とする法律行為は無効とするといったものである。 これは、憲法の人権規定が要請する様々な客観的価値や趣旨が含まれているから、間接的に憲法の保障規定が適用できるとされている。

会社と従業員および大企業と中小企業の服従関係により表現の自由・知る権利が抑制されているので、
それが公の秩序又は善良の風俗に反する事項に当てはまるかが問題となる。

このようなケースにおいて、裁判を行ない、判例を出して、これを利用することで、表現の自由を私人相互間において間接的に適用していくのである。

表現の自由を私人相互間において直接適用するよりも、判例によって明確な基準を決め、それを間接的に適用する方が容易であると思う。

掲示板書き込み規制について

インターネットの書き込み規制は、ネットの健全化と知る権利と表現の自由の侵害と隣り合わせである。

日本では、表現の自由を規制する基準として、『明白かつ現在の危険』があるが、基準を厳しくすると、民主主義が損なわれる可能性がある。

書き込み規制の基準を個人と政府・企業の団体に分けて考察し、インターネットの書き込み規制のあり方を考えてみた。

個人に対する誹謗中傷の書き込みは制限するべき

→個人に対する誹謗中傷の書き込みは、書き込まれた人にとっては、基本的人権の侵害を受けることになるため、保護をする必要があるからである。

特に、誹謗中傷の書き込みにより、自殺に追い込まれるケースも少なくなく、早急に対策をするべきである。
基本的人権の尊重を守っていきましょう。

政府や企業に対してもある程度の書き込み制限は設ける必要があるが、不正等をすれば国民から批判される立場でもあるのでケースバイケース

●意味もない総理大臣死ねといった書き込み→規制するべき

●一方今の総理大臣はまともな政策を行なっていないので辞めてほしいといった書き込み
→国民の政治に対する1つの意見であることから、書き込み規制をすると、表現の自由・知る権利の侵害になります。

●中間的な書き込みとして、選挙では日本の政治が良くないないから、日本政府を倒そうといった書き込み
→判断が難しく、危険なものではあるが、規制すると、これも政治に対する1つの意見になり得るので表現の自由を侵害することにもなる。

⇒この種の書き込みについて、実効性の高いものに関しては『明白かつ現在の危険』とみなし、書き込みを制限し、実効性の低いものは政治に対する1つの意見であることを考慮し、規制までは行なわなくてもよいと考えている。 しかし、実効性の高いもの(危険性の高い書き込み)の基準が明確ではなく、この種の書き込みの規制に関しては、結論を出すことが難しい。

日本で表現の自由を育てるには

個人がマス・メディアにアクセス(接近)し、これを利用して、自らの意見を発表できるアクセス権を拡大する。
⇒もっとたくさんの人がマス・メディアを通じて、自分の意見を発表できるようにすることで、幅広い情報が流れ、自由な討論の活発化を目指す。 インターネットの掲示板をもっと活用するために問題点を解決するのも1つの手である。

日本の教育制度を改善する必要がある。
教科書検定や無意味な校則違反の罰則などの日本の教育制度を見直すべきである。

基本的人権の尊重を実現させるために知る権利・表現の自由の侵害と公共の福祉問題についてまとめてみました。 公共の福祉等の問題はやっかいですね。
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